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河野恭平さん(110期)

豊高での学びが、今の自分の土台に


河野恭平(110期)

皆さんご存知の佐藤弘道お兄さんと。

※佐藤さん御本人の許可は得ております。


高校卒業後、大学には進学せず、刑務官として4年間勤めました。やりがいもあり、社会人として多くを学びましたが、「もっと笑顔で働ける仕事がしたい」と思い、地元・下関の専門学校に通い理学療法士の資格を取得しました。その後は上京し、日本で一番病床数の多い原宿リハビリテーション病院で9年間勤務。現在は、東京都で公益社団法人 日本理学療法士協会に所属し、理学療法士の職域拡大に取り組んでいます。

学生時代の思い出


とにかく英語が苦手で、授業外でもELTの外国人の先生と英会話の練習をしていました。今ではその経験のおかげで、趣味の一人海外旅行を楽しめるようになりました。
部活動はバレーボール部に所属し、最高の仲間や先輩に恵まれ、中国大会にも主将として出場することができました。OBの厳しい指導がきつく感じた時期もありましたが、今となっては心身ともに成長できた、かけがえのない時間です。
学校裏の海で黄昏れる時間や、「カバヤ」と呼ばれる駄菓子屋でお菓子を買って波の音を聞いていたことも、癒しの思い出です。何気ない日常に、仲間がいて、笑い合えた高校生活は、今でも誇りです。もう一度戻れるなら、迷わず高校時代を選びます。

卒業後の進路と今


刑務官になったのは、単純に“知らない世界を見たい”という興味からでした。想像以上に厳しい世界でしたが、豊高での経験があったからこそ乗り越えられたと思っています。この4年間で礼儀や常識、そして言葉にできないような貴重な経験を得られたことは、今も自分の財産です。
その後、理学療法士として多くの患者さんの社会復帰を支援してきました。「ありがとう」と言ってもらえるこの仕事に、誇りを持っています。現在は現場を離れ、理学療法士の活躍の場を広げたり、国への政策提言を行う職能団体で活動しています。患者さんに直接関わる機会は減りましたが、理学療法士が安心して働ける環境を整えるという意味では、変わらず人のためになる仕事ができていると感じています。

高校生へのメッセージ


僕は大学に行かず、多くの人とは違う道を歩みました。寄り道もたくさんしましたが、自分らしく生きてきたことで、人の役に立てる今があります。豊高では、勉強以外にも多くのことを学びました。何より、困ったときに手を差し伸べてくれる仲間がいる環境が、何よりの強みです。
これからは、理学療法士として部活動のサポートや自分の経験の還元など、母校に少しでも恩返しできればと思っています。豊高OBであることを誇りに、自分の心が向く方向へ、これからもチャレンジを続けていきます。
豊浦高校は、僕の自慢の母校です!