「豊高カレー実録」94期 西村 岳彦
第124回同窓会総会に際し企画された「豊高カレー」。94期の想いを載せたそのカレーはドラマと話題を振りまきながら2024年を走り抜けた。未来へのお土産として、その誕生から完売に至るまでの道程を事実に基づき記録しておく。

(向かって左:西村・中央奥:江崎君・右:野村君)
・ただ単にグッズを作って売るだけではない。
・グッズを通じOB・OG、学校、現役生、地域、様々なヒト、モノを巻き込んでいく。
・今までにないグッズで94期をアピールする。
・現役生、若い世代、年配層、ガチ勢、ライト層、女性、どの層にも対応したものを準備する。
・クオリティは豊高同窓会史上過去最高を目指す。
・販売価格は一個500円。
・利益目標60万円。
・収益で豊高や被災地への支援を行う。
・最後はみんなで笑おう!
【開発の背景やブランドの物語、作り手の想いなどをターゲットに伝えることで商品の価値を高める。そのストーリーを通じて共感や愛着を生み出し、差別化を図り、様々な展開へと繋げていく。】
サブ幹事が終わりメイン幹事としての活動がスタートした2023年10月。副代表とグッズ関係を任された私は企画書の最初のページに上記のように書いた。ただ単にその辺のカレーの箱に豊高のマークを入れただけではなく、「本物の豊浦高校食堂のカレー」を作り、同窓生、関係者を巻き込み、総会に向けての話題を作ろうと考えたのである。60年近い歴史を誇る豊高食堂の味は間違いなく今と昔では違う(カレーの流行りも昭和と今では全然違う。)ので「今の豊高食堂のカレー」を商品化する事とした。
まずは食堂へ取材。学校の事務室を通して食堂へアポイントを依頼。平日じゃないとダメ、調理の方がいる時間帯(14:00位まで)じゃないとダメ。行けると思ったら定期試験で食堂が休みなど、なかなかタイミングが合わない。(私、会社員ですから。)ようやく食堂へ行くことが出来たら、食堂の女性陣たちも勝手にレシピを教えられないと運営会社の社長さんに連絡。社長さんに事情を説明して、やっとのことで調理の方から「秘伝のレシピ」を教えて頂いた。成る程そうなんや。シンプルな中にも深い内容のレシピだった。
教えて頂いたレシピを元にメーカーさんにて何度か試作を重ねた。学校関係者(先生、現役生)にも試食してもらいご意見賜る。そうして3カ月をかけて「今の豊高食堂のカレー」に辿り着いた。1月の亀山さんでの出発式でお披露目。湯煎して頂き皆で試食。同期のカレー通からも普通に美味いとお墨付きをもらう。中身についてはこれで完成。まずはホッとした。
一方でパッケージのデザインは全く進んでいなかった。普通に考えれば全体的なイメージの統一の面から、ポスターなどを担当したデザイナー(94期・河島君)に依頼するところであるが、時期的・納期的にも彼を捕まえられず、福岡市のデザイナーに依頼する事となった。


ここからがメチャメチャ苦労した。「豊高」のイメージが伝わらないのである。(説明も難しいけど。)初稿はまさに「男塾」みたいなキャラクターと校内の河口校長の胸像の写真の組み合わせたもの。次は線香かローソク、海苔かお茶漬けのパッケージに満珠・干珠を組み合わせたみたいな感じのもの。はたまたドカーンと校章が真ん中にあるだけのもの(豊高らしいといえばそうかも。)などコレジャナイ感から一向に前に進まない。(くれぐれもデザイナーさんが悪いわけではありません。)
そんなこんなで入稿の締め切りまで残り10日。既にデザイナーさんとやり取りしている時間は無い。「校章ドカーン」でいくのか「満珠・干珠海苔」でいくのか。個人的にはどちらも根本的に「何かが違う」と感じていた。追い詰められた私は前述の同期・河島君にプロ目線での要点のアドバイスをもらい自分でラフな下絵を描き、それをベースにデザイナーさんに起してもらった。これがなんとか私なりに「豊高らしいデザイン」になった。やはりトヨラーにしか感じない部分があるのだろう。箱を開封する時でないと分からない爪の部分にも校章やメッセージを入れた。この辺りもなかなか考えたねと何人かの同期から言われて嬉しかった。
当初「豊高カレー」の発注数は2,000個の予定であった。もっと少なく(1,000個くらい)で作りたかったが、箱の最低ロットが2,000枚だったのでそれに合わせた。おそらく過去の豊高同窓会での販売用グッズ単品としては過去最多の数ではないだろうか。
ところが、である。ある夜の会議で副代表の吉田悟君が「オマエ(西村)、利益100万やろ!それで豊高や能登とかに寄付せんにゃあいけんやろ」とぶち上げた。
「それやったらカレー4,000個要るぞ」、と私。
皆、暫し沈黙の後、「ええやん、やろうや!」代表の中村欽光君からゴーのひと言。
伝説の「4,000個の豊高カレー」誕生の瞬間であった。不安だけど俺らならなんとかなるかなという気持ちも半分あった。しかし例年のような売り方だけをしていては絶対に捌けない。どうやって売っていくのか。仕入金額もまずまずの額になる。代金を支払うためには6月中に1,000個以上売らないといけなかった。

(1月の会議の風景)

(向かって左:吉田悟君・右:山部君)
4月初旬、豊高資料館(旧図書館)に第一陣の2,000個が到着した。グッズ部会長の野村泰三君と開封の儀を執り行う。実に段ボール67箱。
「オマエ、なんかこれ!ふざけんなよ」野村君は呆れた顔をしていた。
段ボールの箱を丁重に開き3個取り出して並べた。「アハハハハ」何故か笑いがでる。
「これが4,000って絶対バカやろ」間違いない、俺もそう思う。ますます笑いが止まらない。
人間は予期せぬ出来事や、自分の力ではどうにもならない状況に置かれた時に、絶望感やストレスを一時的に和らげようとする為に心理的な反応で笑う事があるらしい。
「アハハハハ」…ひきつった笑い声の中、開封の儀はなんとなく終了した。
リアル開封の儀
初めての「ご予約」はM先輩(74期)から頂いた。広告のお願いの際にグッズ類が出来上がったら案内させて頂く事になっていた。
1月後半の夜、野村君と唐戸で打ち合わせをして別れた直後になんと向こうからM先輩が歩いてこられるではないか。急いで野村君を呼びに戻る。
西村「泰三!Mさんがおったぞ!」野村君「なにぃ!そりゃいくしかないやろ!」
ご家族と歩かれているM先輩のもとへ走る。
西村「M先輩、こんばんは」
野村君「先輩、カレー100個ありがとうございます!」
西村「(泰三、オマエ…なん言いよるん?)」
M先輩「100個!?????まあええいや持っておいで(笑)」
なんとご快諾!その間約15秒。頼む方も受ける方も、なんというトヨラーの底の深さを感じた夜であった。
この100個(実際は30個入り×4ケース=120個)は実に効いた。出発式でM先輩のご予約状況を紹介したところ、どんどんと大口様の注文が入り始めたのである。中でもS藤先輩(75期)からは毎日のように電話があり、何度もSービングさんまでお届けに上がった。事務員さんも「あ、豊高カレーですね」と私はもはや常連の納品業者になっていた。常時自分の車に段ボール5箱の在庫を積み、会社帰りや休日に同期、先輩・後輩、市内各地へ配達して回った。県外へ宅配便で何度も発送した。クロネコヤマトで「豊高カレー?そんなのがあるんだ。すごいですね」と店員さんから言われて「そうでしょ」と笑った。
M先輩が最初の「ご予約」であったが、実は最初の「納品」は93期の先輩だった。東部中の先輩で大変仲良くさせて頂いていた。豊高カレーが到着したその週、さっそく持って来てよとご連絡を頂いた。実は先輩は末期の癌で既にホスピスに入られおり、直接お渡し出来ないため妹さんに20個をお渡しした。
その夜、「ありがとう。豊高カレーいいね!オヌシもなかなかやるな」と先輩からメッセージが来た。そして、先輩は次の日に旅立たれた。先輩を偲ぶ会でも集まられた93期の先輩方から「豊高カレー」をたくさんご購入頂いた。向こうから応援してくれている先輩の顔が目に浮かんだ。
出発式、各支部の総会で例年通りグッズの販売を行った。それだけでは追いつかないので三谷校長先生にご協力を頂き豊高祭でも販売をおこなった。
同期の三木君が準備から終日、午前中は田中譲君、午後から牧君が手伝いに来てくれた。途中小雨が降り始めてどうなるかと思ったがなんとか回復してくれた。現役生は自分たちの出し物などでほとんど我々のブースに来られなかったけれど、ご来校の保護者、関係者の方が多くご購入して下さった。

(向かって左:田中譲君・真ん中:三谷校長先生・右:三木君)
必死に捌いてもうすぐ終わり。そんな時、三木君が「おい、なんかメチャクチャお札があるぞ」と。当日はカレーが60個でも売れたら万々歳と思っていたが、実際はなんとその5倍近い数が売れていたのである。トヨラー以外の関係者の方々に多くご購入頂けたのはびっくりした。これが豊高ブランドなのか。これなら4,000個いけるんじゃないかと少し思った。
それでもまだまだ資料館には「豊高カレー」の山。その為、なりふり構わず様々な販売のチャレ
ンジを行った。注文を受けて配達するのは限界があるため、⾧府の和菓子屋さんに在庫を置いても
らい、そこに行けば受け取れるようにした。豊高OB がやっている唐戸の居酒屋、整体院にも置いてもらった。雨で中止になったが⾧府夜市での販売も予定していた。
同期、先輩・後輩、関係者の方々、本当に拡売にご協力頂いた。私の故郷(王司)のオイサン・
オバちゃんも「アンタぁ豊高のカレー売りよるんてな。持っておいで」と箱買いを連発してくれた。いつまでたっても子ども扱いだが、まあそれもいいかと感謝した。
この年は野球部が夏の予選で3 回勝ってベスト8まで進んだ。私も球場でお会いした知り合いの
先輩方から「さすがに今日はカレー売りよらんのか(笑)」と言われ、車にありますよと帰りにお
渡しした事もあった。先輩からは「カレーの⿁」と命名された。

(向かって左:野村君・真ん中:田中譲君・右:西村)
様々なルートで市中に「豊高カレー」が流通していくにつれ、色々なご意見・ご感想を頂く事が増えてきた。その中でよく言われたのが「味」についてであった。
「美味しい」または「美味しすぎる」。「食堂のカレーはこんな(美味しい)のじゃない」というのである。
「今の豊高の食堂で提供されている豊高カレーのレシピで作ったカレーです」と説明すると「昔はソースをかけんと味がせんくらい薄かった」、「ソースかけて食堂のおばちゃんから味を変えるなとぶち怒られよった」などなど、学食のカレーの話から、自分たちの現役当時の思い出話に展開していく事がよくあった。
「ひと口食べれば思い出す。あの日、あの人、あの風景。」カレーのパッケージの折込面に書いたメッセージ。まさにそうなっていた。
「カレーなのに肉が入っていないじゃないか」というご意見も頂いた。当然、秘伝のレシピでも
肉は入れられていない。ではその理由、近年の豊高食堂はテイクアウトの増加から単品メニューが豊富になっている。カレーを注文してもカレー単品だけを食べる生徒はほとんどおらず、皆それぞれ単品の唐揚げやコロッケ、トンカツをトッピングして食べる事が多い為、「味を含め色々なバランス」を考えて入れ無くなったとの事であった。決してネガティブな事情で入れなくなった訳ではない。そう、色々なバランスなのである。
いよいよ8月に。9月1日の総会までピッタリ1ケ月。在庫置き場の資料館にはまだまだ結構な数の「豊高カレー」が残っている。しかしここで思いがけない追い風が吹いた。
友人が海開きイベントが雨で中止になり売り物が余って困っているというので、少しでもの応援と思い、それらを臨時で販売しているという豊田町の道の駅(蛍街道西ノ市)へ行ってみた。そこにたまたま知人の地域ニュースライターが取材に来ていた。
西村「海開き中止で余ったのも大変なけど、豊高カレーもまだぶちあってからワヤ」
知人ライター「豊高カレー???何それ」
西村「知らんそ?今年の同窓会のグッズでトヨラー必食の逸品よ。4,000個作ってまだぶちあるんっちゃ」
知人ライター「それそれ!そーいうの!!それ取材させてよ!」
早速、翌日に取材、写真取り。8月7日に地域ニュースサイトで公開された。(Yahoo!ニュースにも出ていたとの事。)
【下関市】豊浦高校グッズの数々に驚く。この夏は、長府の豊浦高校同窓会から販売されているインスタントカレー、豊高カレーをお試しになってみてはいかがでしょうか。~記事ではこんな見出しで商品内容と協力店の長府の和菓子屋さんがメインで取り上げられていた。
次の日、長府の和菓子屋さんから追加の「豊高カレー」を持って来てと連絡があった。お盆前で来店者が増えて豊高関係者がそのカレーの存在を知り買っていかれるのと、前述のニュースサイトで見たと言って来店される方でまさしく爆発的に出荷が伸びたのであった。(最終的にこの和菓子屋さんから600個くらいが世に送り出された。)


これでなんとかなりそうだ。お盆前に4,000のゴールが見えてきた。
野村君「当日分が無くなるんやないんか(笑)」
私「エエネェ。もう売り切れ御免でええやろ(笑)」
ワハハハ。そんな冗談も言える状況になっていた。
立石君「資料館にもうあんまりカレーの箱ないけどエエんか?」、私「ハァ???」
なんと本当に総会当日の販売分が無くなる勢いで売れてしまっていたのである。
野村君「おい売るの止めろ!止めろ!」
総会までの販売自粛。開封の儀の日には想像もしなかった状況にただただ驚くしかなかった。
8月31日、総会前日準備。会場内にテントを立て、幟や大型POPなども配置し、お祭りの出店のような雰囲気のブースを作った。



河島君の図面に基づき中川君、八木君、牛尾君達が遅くまで残って作業をしてくれた。終わり間際、藤田君が「約束の地にきたよ。」と言った。94期は16年前から同窓会前日に適当なメンバーで集まっている。
16年前に「当番幹事の時はみんなで頑張ろう」と誓った「約束」の地。
いよいよ本番だ。
9月1日の総会当日。開場直後からサブ幹事の木村君、平川君、中村君をはじめ多くの95期が販売を手伝ってくれて出だし好調。ブースにも多くの方にお越し頂いた。
八木君、浦岡君、藤田君、松永君が丁寧な接客で切り盛りしてくれていた。私はフィナーレのエールの担当だったのでそちらが気になり、ひたすら場内をウロウロしていてあまりブースにはいなかったのだが、開会1時間後くらいに「カレー全部売れたよ」と八木君が教えてくれた。
ああ終わった。良かった。ホッとした。涙がポロリ。食堂の取材、デザイン入稿、開封の儀、M先輩のご予約、93期の先輩へのお届け、S藤先輩からのご注文、豊高祭、各支部会、前日準備などが走馬灯のように駆け巡った。校歌、エールもよおやったわ。メッセを出て見た空は真っ青だった。

(総会終了直後の空)

(94期の皆)
後日、豊高同窓会の記事が山口新聞に掲載された。豊高カレーあります、と書いた幟のとブースの写真とともに、そこにはこう書かれてあった。
【食堂の味再現「豊高カレー」も~オリジナルグッズとして1960年代からある同高食堂のカレーの味をレトルトで再現した「豊高カレー」も作り、会場でほかのグッズと一緒に並べられて関心を集めた。~】
それから数日後、ありがたい事に今度は「豊高カレーもう無いんか」と問い合わせが相次いだ。
「いつまでもあると思うな、親とカレー」
肥塚君が94期のグループLINEに書いた。ホントそうだと思った。
(半年後~)
95期代表の奥迫君、グッズ部会長の北岡君から2025年度も「豊高カレー」を販売したいというので、業者さんを紹介して進め方などを引き継いだ。数量は2,000個との事。それがいいよと伝えた。
各支部会へも昨年の御礼で参加させて頂いた。その際に95期のグッズ販売のお手伝いをさせて頂く事があった。各会場で昨年の話になり「あのカレーの企画は良かった」「美味しかった」、「人に配って好評だった」、「去年買えなかったので今年もあって良かった」などありがたいお言葉を頂いた。エヘン、94期が作ったんですよ。
改めて「豊高カレー(2024年版)」を食べてみた。ああ、なんて美味しいんだろう。
沢山の出会い、喜び、悲しみ、すべてがこのカレーに詰まっている気がした。
始まりがあれば終わりがある。終わった喜びと去っていかなくてはならない寂しさ。いやいやもうこりごり。
ありがとう「豊高カレー」。この味を、あの日々の景色を、僕はきっと忘れないだろう。
そうして未来への土産話となる一年が終わった。

(新大阪駅にて・近畿豊浦会に参加)